東京地方裁判所 昭和60年(合わ)239号 判決 1987年8月07日
主文
被告人を懲役六年に処する。
未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五三年二月、日用雑貨の輸出入及び販売等を営業目的とする株式会社フルハム・ロード(以下、単にフルハム・ロードという。)を設立し、以後同社の代表取締役としてその経営に当たり、度々、商品買い付けなどのために、アメリカ合衆国等海外へ出張していたものであるが、昭和五六年七月一〇日頃、予てから、妻の眼を盗んで肉体関係を続ける一方、私生活上の相談にも乗るなどして交際をしていた矢沢美智子を、東京都渋谷区<以下省略>所在のコーヒーホール「セレクション」に呼び出し、同店において、同女に対し、「妻がフルハム・ロードと競争関係にある会社の社長と浮気をし、フルハム・ロードの情報をその会社に流してしまうので困っている。妻は、可愛い子供をベビー・シッターに預けて遊び歩き、子供の面倒を全く見ない。又、フルハム・ロードの従業員に対して社長夫人振つた態度を示すので従業員の手前恥ずかしい。妻に愛情なんかない。ひどく妻を憎んでいる。もし、妻を殺してくれるなら妻に掛けてある死亡保険金の半分をやる。もし、承諾してくれたら僕と君は一生つながつて行ける。絶対にばれない計画を立てるから心配はいらない。」などと申し向けて妻一美(当時二八歳)殺害を持ち掛けたところ、矢沢が翌日これを承諾したため、以後同年八月六日頃までの間、右「セレクション」、同都世田谷区<以下省略>所在の当時の被告人方付近に駐車中の自動車内、同都渋谷区<以下省略>付近の所謂ラブホテルの客室、同区<以下省略>所在の渋谷パルコパート1内の喫茶店、同都千代田区<以下省略>所在の赤坂東急ホテル客室等において、度々、矢沢と会い、同女に対し、「成功したら保険金三、〇〇〇万円のうち一、五〇〇万円を君にやる。君は、旅行会社が主催する八月一〇日出発のパッケージ・ツアーに参加してロスアンゼルスに行つてくれ。僕は一美を連れてロスアンゼルスに行き、君と同じホテルに泊まる。決行日は一三日とする。僕は、予め、フルハム・ロードの駐在員との商談をその日に設定しておいて部屋を出る。一美には、中国服の仮縫いのための採寸に中国人の女性がホテルの部屋に訪ねて来ると話しておくから、君は僕が一美をホテルの客室に一人残してよそで商談をしている間に、採寸に来た女性を装つて客室内に入り、一美がドアを閉めて部屋の奥に向かつて歩き出すなどした際に、その隙を見てその背後から金属製ハンマー様器具で一美の頭部を強打して殺せ、右ハンマー様器具は僕が先の渡米の際アメリカで見付けたので、ロスアンゼルスに行つてから事前に君に渡す。一美を殺したら、部屋に置いてあるハンドバッグやカバンから現金や貴重品を取つて、あとは部屋中にばら撒き、一美が身に付けているネックレス類も持ち出して、あたかも強盗に襲われたかのように見せ掛けろ。」などと申し向けて、主に被告人の立案に係る殺人計画を示しながら、矢沢との間で、一美殺害に至るまでの具体的手順や事後工作等について謀議を凝らした上、同月一〇日、矢沢をしてアメリカ合衆国に向けて渡航させ、被告人においては、予て第一生命保険相互会社及び千代田生命保険相互会社との間で、一美を被保険者とし、自己を受取人として締結していた災害死亡時合計八、〇〇〇万円の保険金に加え、更に、高額の保険金を一美殺害後合わせ取得する意図の下に、同月五日アメリカン・ホーム・アシュアランス・カンパニー(アメリカンホーム保険会社)との間に、一美を被保険者とし、保険期間を同月一二日から一〇日間、傷害死亡時保険金額を七、五〇〇万円とする海外旅行傷害保険契約を締結した後、同月一二日、一美と共にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロスアンゼルス市に赴き、同市サウス・ロスアンゼルス・ストリート一二〇所在のザ・ニュー・オータニ・ホテル・アンド・ガーデン二〇一二号室に投宿し、そして、翌一三日午前一〇時頃(同国太平洋標準時、以下同)、前夜から同ホテル一四二六号室に滞在していた矢沢を同室に訪ね、怖じ気付く同女を励ましながら、同女に対し、一美殺害の決行時刻を指定し、一美がいる客室の番号、同客室への道順、一美の容姿、服装などを教え、持参したショルダーバッグの中から、重さ約一・五キログラムの、円柱形の金属を丁字型に組み合わせたハンマー様器具を取り出し、これを凶器にするように申し向けて手渡した上、同日午後六時頃、前記一四二六号室にいる矢沢に電話を掛け、これから行くよう改めて指示し、これを受けた矢沢において、その頃、右ハンマー様凶器を袋に入れて肩に掛け、前記二〇一二号室に赴き、中国服の採寸に来た女性を装つてドアをノックしたところ、一美が何ら不審を抱かずに、矢沢を同室内に招き入れ、客室の奥に向かって歩き出し、矢沢にその後ろ姿を見せたため、矢沢において、左肩に掛けた袋から右手で前記ハンマー様凶器の柄の部分を掴んで取り出し、殺意を持つて、一美の背後からその後頭部を右凶器で力一杯殴打したが、不安定な体勢のまま殴打したため、手元が狂い、一撃で同女を昏倒させ、或いは制圧するだけの打撃を与えることができず、逆に、同女から反撃されてもみ合いの末、右ハンマー様凶器を同女に取り上げられてしまつたため、同女に対し全治まで約一週間を要する後頭部挫裂創の傷害を負わせたに止どまり、殺害の目的を遂げなかつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(事実認定についての当裁判所の判断)
弁護人は、被告人は矢沢美智子と一美殺害を共謀したことなど全くない旨主張し、被告人も捜査、公判を通じ右主張と同旨の弁解をしているので、当裁判所の判断を示しておくことにする。
第一本件において、被告人と矢沢との間に一美殺害の共謀が存在したか否かは、掛かつて矢沢供述の信用性如何にあると言うべきであるから、先ず、矢沢供述について検討する。
一なお、矢沢供述には検察官に対する供述と当公判廷における証言との間に一部齟齬すところがあつて、それ自体必ずしも一貫したものではないので、初めに、この点について、検討を加えておくこととする。
矢沢の検察官に対する各供述調書謄本によれば、矢沢は、検察官に対し、本件犯行に加担した経緯・目的、犯意、犯行時の状況等について、大要次のとおり述べていることが認められる。即ち、「私は、そのスマートさに憧れ、信頼し、肉体関係もあつた三浦から『仕事は人を殺すことだ。保険金殺人だ。妻を殺してくれたら保険金の半分をやる。オーケーしてくれたら僕とミチは一生つながつて行ける。』と言われ、一美殺害を依頼された。私は、三浦の依頼を承諾すれば三浦の最愛の女性になれるし、又、まとまつた保険金が貰えれば憧れていた豊かで華やかな生活が実現できると思いこれを承諾した。」、「八月一三日、ロスアンゼルスのホテルの私の部屋で、三浦が私を抱き締めながら『これが終わつて日本へ帰つたら結婚しよう。』と言つたので、私は感激してしまい、一美殺害の決意を一段と固めた。三浦から脅かされたことは一度もない。」、「私は、私を室内に招き入れた一美が客室の奥に向かつて歩き出し、私にその後ろ姿を見せたので、左肩に掛けた袋から右手で凶器を掴んで取り出し、殺意をもつて、これで一美の後頭部を狙い一回殴打した。一美は前に少しくずれるような感じでしやがみながら後頭部を手で押さえ、次いで、私の方に振り向き体を起こしながら私の方に突進してきて私から凶器を取り上げた。」旨供述していることが認められるところ、当公判廷においては、これらの点につき、大要次のとおり証言する。即ち、「私が三浦から殺人の話を持ち掛けられてこれを承諾したのは、三浦に対し恋愛以上のものを感じていたので、三浦の言うことだつたら何でも聞いてあげたい、三浦に言われたとおりにしてあげたいと思つたからである。三浦から保険金殺人だと言われ、殺害の対象者が一美と分かつたのは、既に私が三浦からの殺人依頼を承諾したあとである。三浦から保険金三、〇〇〇万円のうち半額の一、五〇〇万円をやると言われたが断つた。」、「八月一三日ロスアンゼルスのホテルの私の部屋で、三浦から『これが終わつたら結婚しよう。』と言われたが、私は白々しいと思つた。この時は既に三浦に対する愛情とか信頼とか同情めいたものは薄れていた。私が一美の部屋に行つて犯行に及んだのは、三浦が『裏切つたら親や兄弟を殺す。』と言つていたことを思い出し、やらなければ何をされるか分からないという気持になつたからである。」、「一美を殺すつもりで一美の部屋に行つたが、一美を見た途端、体中の血の気が引いたようになつて、あとはもう何がなんだか分からなくなつた。」旨述べ、保険金入手目的が被告人からの本件殺人依頼を承諾した動機ではなく、又、本件を決行したのも、最終的には被告人に対する愛情や信頼からではなく、被告人に対する恐怖からであり、そして、犯行時には積極的に殺意はなく、犯行自体についての記憶も全くないなどと、重要な点において、検察官に対する供述内容と食い違う証言をする。しかし、右各証言部分は、それ自体、又、その各前後の状況に関する供述内容に照らし不自然、不合理であるのみならず、本件関係各証拠とも符号せず、俄かにこれを措信することができないと言うべきである。即ち、本件殺人依頼を承諾した経緯について述べる点は、仮令、憧れ信頼し、肉体関係があつた者からの殺人依頼とは言つても、誰を如何なる理由で殺すのかも一切聞かないで、その依頼を承諾してしまつたというのは如何にも不自然、不合理であり、又、被告人に対する感情の変化について述べる点も、それまでの被告人に対する感情の推移や犯行後(帰国後を含む)の被告人に対する言動と対比して、如何にも唐突かつ不自然であり、更に、被告人から脅迫を受けたという点も捜査段階においては数度に亙つてこれを明確に否定していたものであり、又、興奮状態にあつたことや記憶がないことなどを理由に犯意を否定するかのように述べる点も、犯行の直前直後の状況については、これを相当詳細に供述しながら、犯行自体についてのみ記憶が全く欠落しているという点で極めて不自然である上、右各証言部分は、信用性の認められる証人S子の当公判廷における供述、証人I男に対する当裁判所の尋問調書等本件関係各証拠に符号せず、これを措信することができない。
このように、矢沢供述には検察官に対する供述と当公判廷における証言との間に一部食い違いが存し、措信し難い部分があるが、右部分は、その内容等に徴し明らかなように、自己を被告人とする本件関連事件で、保険金入手目的の動機性を否定し、殺意を否認するなどしながらも一審で実刑判決を受けた矢沢が、当時審理中であつた控訴審での裁判を意識し、これが局面を自己に有利に展開せんと企図し、そこでの主張に合わせるべく意識的に証言をしたために生じたものと言うことができ(矢沢に対する東京地方裁判所昭和六〇年合(わ)二四〇号殺人未遂被告事件の第二回公判調書抄本、同事件の判決書謄本、矢沢に対する東京高等裁判所昭和六一年(う)第二一八号殺人未遂被告事件の第一回公判調書抄本)、そして、かく看て取ることによつて、矢沢の検察官に対する供述と当公判廷における証言との間に存する食い違いもすべて矛盾なく理解することができるのである。
このように矢沢供述の齟齬変遷は、その理由が極めて明確であり、そして、これが理由の内容に鑑みれば、矢沢供述に右のように一部食い違うところがあるからといつて、このことの故に、直ちに矢沢供述はすべて信用性がないと言うことができないことは明らかである。
二そこで検討するに、証人矢沢美智子の当公判廷における供述(但し、前記措信しない部分を除く。)及び同女の検察官に対する各供述調書謄本によれば、同女の供述の内容は大要次のとおりである。即ち、私は、昭和五六年五月初め頃、友人のN子に誘われ、赤坂東急ホテルの客室で開かれた小人数のパーティーに参加した際、当時同女の愛人だつた被告人と面識を得、そして、その後、フルハム・ロードという被告人経営の会社が主催するファッションショーを見に行くなどして被告人に接するうち、被告人のスマートな容姿、そのソフトな話し方、都会的なその立居振舞いに惹付けられ、被告人のことを素適な人だと思うようになつていたところ、その後暫くして被告人から電話で食事に誘われ、同月下旬頃、その誘いに応じて被告人と会い、その際、誘われるままホテルに入り、被告人と初めて肉体関係を持ち、以後交際するようになつた。私は、同月二八日、当時交際は途絶えていたが、以前深く交際し、当時もまだ未練があつたF男からはつきりした態度で別れ話を持ち出されて強い衝撃を受け、いたたまれずに、その頃、そのことを被告人に打ち明けたところ、被告人から優しく慰められ、又、同年六月末か七月初め頃、被告人に対し、F男と別れたために会社に行く気力もなくなつて勤めを辞めてしまつたことなどを話したところ、被告人から、「そんなことで悩むのは馬鹿げている。男女の関係などは金を受け取つてしまいさえすればすつきりする。F男の子を妊娠し中絶したことにして慰謝料を取つてやる。」などと言われたため、その処理を被告人に任せたところ、被告人がF男の妻と交渉してくれて、同年七月七日、私はF男の妻から三八万円を受け取ることができた。いざ金を受け取つてみると、被告人の言うとおり、F男とのことでこれまで長い間思い悩んできたことが一挙に吹き切れてしまい、私は、ますます被告人に対する信頼の度を深め、被告人のことを、何か問題があれば全て解決してくれるスーパーマンのような存在として見るようになつた。私は、被告人に就職口を探してくれるよう頼んでいたところ、同月一〇日頃、被告人から仕事が見付かつた旨連絡を受けたので、フルハム・ロード近くのレストラン「セレクション」で被告人と会い、どのような仕事なのか尋ねると、被告人は、「実は、ミチ、人を殺す仕事なんだよ。」と真剣な口調で言い、更に、それは被告人の妻を対象とする保険金殺人であつて、「興信所に妻の素行を調べさせたら、妻がライバル会社の社長と浮気をして、フルハム・ロードの情報をライバル会社に流していることが分かつた。又、可愛い子供をベビー・シッターに預けて遊び歩き、子供の面倒を全く見ないし、会社の従業員に対しても社長夫人面をしているので、従業員の手前恥ずかしい。妻に愛情なんかない。妻をひどく憎んでいる。やつてくれたら保険金の半分をあげる。もしミチがオーケーしてくれたら、僕とミチは一生つながつて行ける。僕は今までに何度も人を殺しているが一度もばれたことはない。人を殺すなんて簡単なことだ。絶対にばれない計画を立てるから心配はいらない。」などと言われたため、私は、被告人が敢えて私に殺人の協力方を求めてきたということは、私のことを信頼のできる特別な女性と見てくれているからで、ここで被告人の依頼を承諾すれば被告人の最愛の女性になれるし、又、まとまつた保険金が貰えれば今まで憧れていた豊かで華やかな生活も実現できると思い、被告人の立てた計画どおりにやれば絶対に発覚しないとの被告人の言を信じて自分の人生を被告人に賭けることとし、翌日、直ちにこれを承諾する返事をした。その後同年八月六日頃までの間、右「セレクション」、被告人方付近に駐車した自動車の中、渋谷区神南のモーテル、渋谷パルコパート1内の喫茶店、赤坂東急ホテル等で被告人と度々会い、被告人から、「完全犯罪なんて簡単にできるんだよ。一番いいのは全然結び付きのない人間と一緒にやり、殺される者と無関係の者にやらせる方法だ。ノン(N子)もマリファナのことがあるから僕とミチのことは喋らない。大丈夫だ。保険金は三、〇〇〇万円だが、昔から掛けているものだから絶対に怪しまれない。成功してこの保険金が入つたらそのうち一、五〇〇万円をやる。使い途を考えるようにすれば気分が楽になる。」などと言われ、そして、一美殺害の具体的方法について、被告人が一美に煙草を買いに行かせ、私が物陰に隠れていて通り魔に見せ掛けて一美を殺す、海水浴に行き岸から離れたところで、隠れていた私が一美の足を引つ張つて水死させる、私がピストルで一美の頭と被告人の足を撃つ、或いは、被告人が一美の頭を撃つてから自分の足を撃ち、私がピストルをどこかに捨てる、又、ナイフを用いてやるなど様々な方法が被告人から提案されて検討したが、結局は、一美の頭を殴つて撲殺するという方法でやることになり、私もそれくらいならできると思い、これを了承した。又、私が、「日本の警察は優秀なので、日本ではやりたくない。」と言つたため、被告人が提案し、私も了承してアメリカのロスアンゼルスで一美を殺すことになつた。そして、私は、被告人に言われて、同月一〇日に出発する旅行会社のパッケージ・ツアーに参加してロスアンゼルスに行くことになり、被告人からその旅行費用として六〇万円を受け取つて、東急観光主催のアメリカツアーに申し込んだ。その際、被告人からホテルでは一人部屋を取ること、ロスアンゼルスではどのホテルに滞在することになるのかをしつかりと確認しておくことなどを指示された。同月六日にはロスアンゼルスのホテルもニュー・オータニに決まり、日程表も貰うことができたので、被告人にこれを見せたところ、被告人から「八月一三日は一日中オプショナル・ツアーになつているから、ミチが自由行動をとつてもおかしくない。この日にやろう。時間は当日改めて指示する。僕も一美もニュー・オータニに泊まることにしてあるから、やる場所はホテルの一美の部屋にしよう。殴る道具は先に渡米したときトンカチのような形の鉄の塊を見付けておいたので、ロスに行つてから渡す。これはアメリカにはごろごろしているが日本では余り見掛けない物だから日本人がやつたとは警察も思わない。」などと言われ、更に、殺害の具体的手順及び事後の偽装工作についても、被告人から次のような指示を受けた。即ち、「僕はフルハム・ロードのロスアンゼルス駐在員との商談を予め同月一三日に設定しておいて部屋を出る。一美には中国服の仮縫いのための採寸に中国人の女性が部屋に訪ねて来ると話しておくから、ミチは、僕がよそで商談をしている間に、採寸に来た女性を装つて部屋に入り、一美がドアを閉めて部屋の奥に向かつて歩き出した際、或いは、採寸の振りをして後ろを向かせた際、一美の隙を見て、その背後から、トンカチ様の鉄の塊で一美の頭を殴れ。何度も何度も殴れ。そして、一美が死んだことを確認した後、部屋の中のハンドバッグやカバンから現金や貴重品を取り、あとは部屋にばら撒き、一美が身に付けているネックレス類も持ち出して、あたかも強盗に襲われたかのように見せ掛けろ。僕は、ミチが一美を殺したあと、商談に同席中のO男に一美を呼ぼうという話をし、僕が一美に電話をするが、一美が出ないということで、O男に一美の部屋に一美を呼びに行かせ、一美が死んでいるのを発見して貰う。O男が僕のアリバイを証明してくれることになる。」というものであつた。私は、アメリカへ渡航する前夜、友人のS子方を訪ねたが、その際、計画が失敗してアメリカの警察に捕まつてしまうのではないか、そして、再び日本へ帰つて来られなくなるのではないかとの不安に駆られたので、S子に対し、「ロスアンゼルスに大きな仕事をしに行く。それは危ない仕事で日本に帰つて来られなくなるかも知れない。その時は警察にこれを届けて。」と言つて、フルハム・ロードの電話番号を書いた紙片を渡した。私は、同月一〇日成田を出発し、途中サンフランシスコに二泊して、同月一二日(現地時間)、ロスアンゼルスに入り、市内のニュー・オータニ・ホテルにチェックインした。その日土産物店で知り合つた若い男性にオートバイでドライブに連れて行つて貰つたが、その際、明日もどうかと誘われたので、明日一美を殺害したあと部屋から持ち出すことになつている貴重品類を遠くに捨てに行くには丁度都合がよいと考え、翌日もオートバイに乗せて貰うことにした。翌一三日はメキシコへのオプショナル・ツアーを断つて自分の部屋に待機していたところ、午前一〇時頃、被告人から、これから行く旨の電話があり、暫くすると被告人が私の部屋に現れた。被告人は、怖じ気付いている私を抱き締めて励まし、決行の時刻を指定し、一美がいる客室の番号、同客室への道順、一美の容姿、服装などを私に教えた上、持参したショルダーバッグの中から、重さが一・五キログラム前後で、直径三、四センチメートル位の二本の円柱形の鉄棒をT字型に組み合わせたものを取り出して、「ミチ、これならやれるだろう。」と言つて私に渡し、更に、「殴る時には、姿が壁の鏡に映らないように気をつけろ。窓際には寄るな。一美の部屋から出るときはのぞき穴から廊下を見て人が居ないことを確かめろ。トンカチのようなものは指紋を拭いて部屋に捨てておけ。」などと注意し、指示した。又、被告人は、「保険金はすぐ出ないと思うけど、ミチには僕からそれまで生活費を渡す。但し、ビジネスはビジネスだから、旅行費用の六〇万円や右の生活費は保険金の分け前から差し引かせて貰う。夕方一美が部屋に一人になつたとき電話を入れる。」などと言い、更に、私を抱き締めながら、「これが終わつて日本へ帰つたら結婚しよう。」と言つたので、私は、感激してしまい、一美殺害の決意を一段と固めた。同日午後六時頃、被告人から電話が掛かり、これから行くように指示され、更に、殺害に成功したらその合図として、被告人が商談をしているホテル一階のコーヒー・ショップの周りを歩くように言われた。その後、凶器を携えて一美の部屋へ赴き、中国服の採寸に来た女性を装つてドアをノツクしたところ、一美が何ら不審を抱かず、私を室内に招き入れ、客室の窓側の方に向かつて歩き出したので、左肩に掛けていた袋に入れていた凶器の柄を握つて一美のあとを追い、一美が、鏡を取り付けてある、バスルームの壁の前を通り過ぎたので、やるのは今だと思い、凶器を袋から取り出し、殺意を持つて、これを左斜め上から右斜め下の方に向け振り下ろして力一杯一美の後頭部を一回殴つた。私が一美を殴ると、一美は少し前にくずれるような感じでしやがみながら右手で後頭部を押さえ、左回りで私の方に振り向き、一瞬のうちに私が立つていたところまで体を起こしながら突進し、私が右手に持つていた凶器を掴んで取り合いの末、私からこれを取り上げた。その時の一美の顔は目を大きく見開き私を睨み付けているような感じてあつた。私は怖くなり、「ごめんなさい。ごめんなさい。」と何度も言つて頭を下げた。一美は大声で「ヘルプミー」と叫んだ。私が一美に「三浦さんを呼んで下さい。」と言うと、一美は「あなた三浦の何なの。」と聞いてきた。私はこれには何も答えなかつた。一美は被告人を呼んでくると言つて一旦部屋を出たがすぐ戻つて来て、「貧血を起こしちやいそう。あなた、三浦を電話で呼んでちようだい。」と言つたので、電話でフロントを通して被告人に電話口に出て貰い、被告人に対し自分の名前は言わずに、「すぐ来て。」とだけ伝えた。間もなくして被告人が部屋に入つて来た。一美は被告人に対し私から殴られたことを話し、「この女知つてるんじやないの。」と尋ねたが、被告人はこれを否定した。一美は被告人に対し警察を呼ぶよう頼み、又、これで頭を殴られたと言つて被告人に凶器を手渡した。被告人は「今警察を呼んだら僕達はやばいことをやつているから二、三週間滞在しなければならなくなるし、とにかく警察ざたにしない方がよい。」と言つて一美を一生懸命説得していた。又、一美に「とにかく傷もたいしたことなさそうだから、今日のことは何もなかつたことにしよう。」と言つたあと、私に対しドアの方を指さして「出て行つてくれ。」と言つたので、私は部屋を出た、というものである。
三矢沢供述は、右のとおり、それ自体、極めて具体的かつ詳細濃密であつて、迫真性に富み、とりわけ、(イ)被告人から聞かされたという一美殺害の動機について述べるところ、(ロ)被告人が保険金に関し、「三、〇〇〇万円の保険は昔から掛けてあるものだから怪しまれない。保険金が入つたら一、五〇〇万円をやる。使い途を考えていれば気が楽になる。」などと言つた旨述べるところ、(ハ)殺害方法を撲殺と決定するに至る過程でなされた被告人との間の遣り取りについて述べるところ、(ニ)本件凶器の入手経路について被告人から聞いたという話の内容について述べるところ、(ホ)被告人から指示説明を受けたとして犯行の具体的手順及び犯行直後の偽装工作について述べるところ、(ヘ)そして、更に、被告人から「殴る時には、姿が鏡に映らないように気をつけろ。窓際には寄るな。」とまで注意を受けたと述べるところ、(ト)被告人が、「保険金が出るまで生活費を渡すが、ビシネスはビジネスだから、旅行費用の六〇万円と渡した生活費は保険金の分け前から差し引かせて貰う。」と言つていたなどと述べるところは、いずれも臨場感に満ち、現に体験した者でなければ容易に供述し得ないものであり、又、被告人と面識を得てから本件への加担を持ち掛けられるまでの被告人に対する感情の推移について述べる点、そして、被告人からの殺人依頼を承諾すれば、豊かで華やかな都会的生活が現実のものとなり、被告人との関係も将来に亙つて維持して行けるとの思いから本件に加担した旨本件犯行への加担を決意するに至つた心情について述べる点も、極自然で納得し得るものであると言うべきところ、矢沢供述は、証人I男に対する当裁判所の尋問調書によつて認められる本件発生の数時間後になされた矢沢の右I男に対する本件に関する告白に一致符号し、かつ証人S子、同M子、同W男、同U男、同T男の当公判廷における各供述、K子の弁護士瀬戸英雄、同五十嵐二葉に対する供述調書、医師タッド・フジワラ作成の診療記録写等本件関係各証拠によつても十分裏付けられており、その信用性は極めて高いと言うべきである。以下詳述する。
1 証人I男に対する右尋問調書(I男供述は、それ自体具体的で臨場感に富み、殊更に矢沢と口裏を合わせるなどして虚偽の矢沢告白を構築したものとは到底考えられないところ、このことは、矢沢が帰国後間もなくしてI男に宛てて出した真情を流露する後記手紙の内容に徴しても、明らかであり、十分に措信するに足るものである。)によれば、矢沢は、本件発生の僅か数時間後に、ニュー・オータニ・ホテル内の土産物店の従業員である右I男に対し、「三浦という人から、会社の情報を他人に流したり、浮気をしたりしている奥さんを殺してくれと頼まれた。三浦は、自分と結婚してくれると言うし、又、奥さんに掛けている三、〇〇〇万円の保険金のうち一、五〇〇万円をくれるという約束もしてくれたので、これを承諾し、予め三浦夫婦と同じ日にロスアンゼルスのニュー・オータニ・ホテルに宿泊できるように仕組んで渡米し、中国人を装つて、三浦の奥さんのいる部屋に行き、部屋に入るなり、予めホテルの自分の部屋で三浦から受け取つていたハンマー様のもので奥さんに殴り掛かつたが、血が出たので怖くなり、それ以上はできず、結局殺すことができなかつた。ハンマー様のものは、三浦が工場か何かから拾つてきたものらしかつた。」旨泣きながら告白していることが認められるところ、右告白の内容は、極めて具体的で筋道の立つたものであり、一美殴打後の混乱した心理状態の下で短時間のうちに簡単に創作して語り得るようなものでは決してなく、これに、右告白時に見られる矢沢の真摯な態度、更に、当時、矢沢には殊更に嘘を言つてまでして自分をその言うところの殺人未遂犯にしなければならないような事情が存在しないこと、又、徒に虚構の事実を述べて被告人を共犯者に仕立て上げなければならないような事情もないことなどを併せ考えると、右告白内容の信用性は極めて高いと言うべく、そして、このことは、矢沢が帰国後間もなくして右I男宛に出した次のような手紙、即ち、「私にとつてあのことは忘れてはいけないものと心に決めています。人間として最も大事なものをもう少しで私は失うところでした。又、自分というものがどういう人間か手に取るように分かりました。」というその真情を流露している手紙に照らしても明らかであると言わなければならない。
2 又、証人S子の当公判廷における供述によれば、矢沢は、渡米の前夜、S子方を訪れ、その際、思い詰めたような感じで、S子に対し、「明日、人に頼まれてロスアンゼルスに行く。行きも帰りも旅費を出して貰い、自分にとつてはすごい仕事で、チャンスだ。すごく多額のお金がいただける。」などと言い、更に、「自分の身に何かあつたらこれを警察に渡して欲しい。」と言つてS子に六、七桁の数字を横書した紙片を渡している事実が認められるが、右事実も前記矢沢供述とほぼ符号しており、とりわけ「すごい仕事で、すごく多額のお金がいただける。」との矢沢のS子方での発言は、一美殺害の実行とそれによる保険金の分け前のことを念頭に置いてなしたものであると認められ、同証人の証言によつても、被告人との殺人の共謀を自認する矢沢供述の信用性が裏付けられていると言うことができる。
3 そして又、K子の弁護士瀬戸英雄、同五十嵐二葉に対する供述調書によれば、一美は、本件犯行の翌日、親しい友人である右K子に対し、「中国服の縫い子が来たと思つてドアを開けたところ、入つて来た女性が、私が後ろを向いた時にバッグの中からハンマーを出して私の頭を殴つた。」「そのあとその女性は『ごめんなさい。ごめんなさい。』と言つて謝り、『三浦さんを呼んで下さい。』と言つた。」「私はその女性と取つ組み合いをしてハンマーを取り上げた。」旨、又、証人M子の当公判廷における供述によれば、一美は、日本に帰国した後、妹のM子に対しても、「被告人の知つている中国服の仮縫いに来た女性を部屋に入れたところ、後ろ向きになつた時にその女性に頭を殴られた。その女性と取つ組み合いをして凶器を取り上げた。その女性は泣きながら『ごめんなさい。ごめんなさい。』と言った。その女性が私を殴つた凶器は、握る柄の上に横に棒が付いていてその先がねじれている物であつた。」旨話した事実が認められ、被害者一美自身が語つたという凶器の形状並びに本件犯行時及びその前後の状況も矢沢供述にほぼ一致していてこれを裏付けているのである。
4 又、証人W男の当公判廷における供述によれば、矢沢が供述する、重量が約一・五キログラム程度で直径約四センチメートルの円形の打撃面を持つT字型のハンマー様の金属製鈍体で、矢沢の言うように、一美の後頭部を左上方から右下方に向けて打撃した場合、その打撃面の円形の角部が頭部を打撃したとすると、法医学上、医師タッド・フジワラ作成の診療記録写に記載されている一美の後頭部の創傷、即ち、創縁部が円孤状を呈する挫裂創ができる可能性がかなり高いことが認められ、矢沢の凶器及び犯行態様に関する供述は、法医学上も、一美の後頭部の創傷と何ら矛盾せず、このことも矢沢供述の信用性を補強するものであると言うことができる。
5 更に又、証人T男、同U男の同公判廷における各供述によれば、矢沢が本件の凶器であると供述する円柱形の金属をT字型に組み合わせたハンマー様器具は、日本では一般的に使用されておらず、鉄工所等にその製作を依頼しても、採算が合わないということでこれを引き受けたがらないばかりか、仮にこれを引き受けたとしても出来上がるまでに数日を要するのに対し、ロスアンゼルスでは、飛び込みの客にも一〇分以内という短時間のうちに製作してくれる鉄工所等が複数存在し、入手が極めて容易であることが認められ、凶器の入手経路について矢沢が被告人から聞いたという話の内容を裏付けており、矢沢が被告人と違つてロスアンゼルスに土地勘がなく、又、その経歴等からして、このような日米の工作器具事情について知識を有していたとは到底思えないことに鑑みると、矢沢のこの点に関する供述の真実性は極めて高いと言うべきである。もしこの点に関し矢沢が虚偽の供述をして被告人を陥れようと考えたとするなら、どこにでもあるようなありふれた鉄槌を凶器であるとして供述しておく方がむしろ反証を封じる意味でも無難であると思われるのにこれをなさず、本件凶器につき前記のような供述をなしていること自体に徴しても、このことは明らかであると言わなければならない。
6 以上のとおり、矢沢供述は本件関係各証拠に符号し、かつ、これにより裏付けられており、その信用性に極めて高いと言うべきである。
四なお、弁護人は、矢沢供述の信用性を争い、種々の主張をしているが、以下の点につき、特に当裁判所の判断を示しておくこととする。
1 弁護人は、矢沢は、実際に自分がそれを握つて一美の頭部を殴打したというT字型凶器の大きさや細部の形状について曖昧な供述を繰り返し、その内容も捜査段階から公判に至るまであれこれ変遷させているが、このように、最も印象的であるはずの凶器についての記憶があやふやであるなどというのは経験則上不自然であつて、矢沢供述は信用できない旨主張する。
なるほど、矢沢は、本件凶器の大きさについて、弁護人の指摘するとおり、様々な供述をしていることが認められるが、右凶器が、円柱形の金属をT字型に組み合わせたものであることについては捜査段階から終始一貫した供述をしており、少なくともこの点に関しては供述の変遷と評すべきものはなく、矢沢が凶器の大きさについて様々な供述をしたのは、矢沢が取調べの際、その凶器の大きさについて、その模型を自ら製作したり、又、凶器を入れた頭だ袋等の大きさとの対比を思い描くなどしながら、徐々に記憶を喚起して行つて、最終的に検察官に対して供述したところに辿り着いたという経緯によるものであることが認められ、右経緯に照らせば、その供述の変遷にも一応の合理的理由があり、凶器の大きさについて矢沢の供述が変遷しているとの一事をもつて矢沢の凶器に関する供述が虚偽であると言うことはできず、その点に関する弁護人の主張は採用することができない。
2 又、弁護人は、被告人は、妻一美及び一美との間に儲けた娘を深く愛しており、夫婦仲も非常に良好であつたのであるから、このように自らの愛情の対象であり、かつ、愛娘にとつては母親でもある一美を殺害しようと企図するとは考えられず、従つて、被告人には一美を殺害しなければならない動機が全くない旨主張する。
本件関係各証拠によれば、なるほど、被告人は、一美との結婚生活において、毎晩必ず自宅で食事を取り、日曜日は「一美サンデー」と称して夫婦で映画などに出掛ける等家庭サービスに努め、又、娘が誕生した頃には、O男に一美との結婚で初めて子供を作ろうという気になつた旨話していたこともあつたことが認められるが、その裏では、矢沢を含め、多数の女性と親密に交際し、肉体関係をも結んで一美を裏切り続け、就中、一美がロスアンゼルスで何者かに銃撃されて病院に入院中も、数多くの女性と肉体関係を持ち、日々背信を重ねていたことが認められるのである。本件関係各証拠によれば、一美は、被告人が右のように他の女性と親密に交際していることに気付いて、被告人の愛情に疑問を抱き、かつ、その行状に悩みながらも、被告人のために美味い料理を作ろうと努力したり、アンティーク・ドレスの店を開きたいとの希望を持つていたことから被告人にその協力方を求めたり、夏期休暇に海外旅行に誘われれば嫌がらずに同行するなどしていたことが認められ、このことからすると、少なくとも一美が被告人を受け付けない程に嫌悪していたとまで見ることは相当でなく、従つて、このような夫婦関係をもつて、検察官の主張するように夫婦仲が冷えていたとまで評し得るかどうかはともかくとしても、前叙のような、被告人の破廉恥で不誠実極まりない行状に鑑みると、弁護人が主張するように、被告人が一美に真摯で深い愛情を抱いていたとは到底考えることはできない。ところで、矢沢供述によれば、被告人は、矢沢に対し、一美殺害を決意した動機の一つとして、一美がフルハム・ロードの競争相手の会社の社長と浮気をし、フルハム・ロードの情報を流していることを挙げた事実が認められるところ、証人O男に対する当裁判所の尋問調書によれば、被告人は、フルハム・ロードのためロスアンゼルスにおいて商品の買付代行に当たつていたドンドン社の経営者である右O男に対しても、本件以前に、「一美が競争相手の会社の社長と浮気をしており、フルハム・ロードの情報が筒抜けになつてしまうので、ドンドン社側でも秘密が漏れないよう注意して貰いたい。」旨言つていること、又、証人H男の当公判廷における供述によれば、被告人は、昭和五六年五月頃、興信所からの手紙が届いた後に、赤坂東急ホテルにおいて、H男に対し、「興信所の調査によつて、僕が自宅に置いていたフルハム・ロードの輸入に関する資料を一美が競争相手の会社の社長に渡していることが判明した。一美は同社長と浮気をしている。」旨話したことがそれぞれ認められ、被告人が互いに全く関わりのない矢沢、O男、H男の三名に一美の浮気とフルハム・ロードの情報漏洩という同一の事柄をほぼ同時期頃に打ち明け、特にO男に対しては、取引上の留意事項として注意を喚起していることに鑑みると、被告人がこれらの事実について相当深刻に考えていたのではないかと思料され、そして、証人R子の当公判廷における供述によれば、一美は、学生時代のボーイフレンドを昼間自宅に招いて食事をもてなしたり、又、R子に対し、かつての別のボーイフレンドに連絡を取つてくれと頼んだこともあるというのであり、このことを併せ考えると、一美のこのような様子について、被告人自身どれ程勘付いていたかは定かでないが、被告人が複数の者に事も有ろうに自分の妻が浮気をしていると語る背景には、被告人が、少なくとも一美の行状について強い不審を抱き、これに心を痛めていた事情があつたと見るのが相当である。このように、被告人の一美に対する心情は、弁護人が主張し、又、被告人が当公判廷で自分は一美を愛していたと涙ぐんでまで述べるようなものでは決してなかつたと認められること、そして、被告人は一美の行状について強い不審を抱いていたと考えられること、更に、矢沢供述によつて認められる被告人の嫉妬深い性格等に鑑みると、被告人がこれらの理由で、或いはこれに何らかの事情(これが何であるかは、被告人が本件を否認し、一美殺害を決意するに至つた経緯についてこれを供述しない以上、解明は困難である。)が加わつて一美殺害を決意するに至つたとしても、決して不自然なことであるとは言えない。以上の次第であるから、被告人には一美殺害を決意するに足る動機などなく、被告人が一美殺害を企図することなどあり得ないとする弁護人の主張は採用することはできない。
五なお、検察官は、本件の動機に関し、被告人の一美との夫婦仲が冷えていたことに加えて、被告人がその経営に係るフルハム・ロードの資金繰りに窮していたことを挙げ、被告人は一美を被保険者とする多額の保険金を入手する目的で同女を殺害しようと企てた旨主張するが、当公判廷で取調べた関係各証拠によると、フルハム・ロードは、なるほど、自己資金に乏しく、昭和五三年に設立されて以降、当期未処分利益において毎期赤字を計上してはいるものの、第二期(昭和五四年二月一日から昭和五五年一月三一日まで)以降第四期(昭和五六年二月一日から昭和五七年一月三一日まで)に至るまで毎期順調に売上高を伸ばし、第四期のそれは第三期に比して二倍以上に急増し、第四期の当期損益に限れば、九九三万円余の黒字となつて、第三期までの累積赤字一、一六八万円余が第四期に至つて一七五万円余にまで減少するなどその経営状態は順調に推移していること、又、売上高が急増したため、仕入代金の支払いも増大し、かつ、事業拡大等の資金需要も生じて、資金繰りが一層忙しくなり、被告人において、金融機関や提携先の企業及び父親等からこれが資金を借り入れてはいたが、右借入金も概ね滞りなく、順次返済されていること、同業他社に比べ高額であつた従業員の給料の遅配もなかつたこと、得意先には大手百貨店等堅実で安定した所を多く抱えていた外、東海銀行、国民金融公庫など有力な金融機関との取引も保持していて多額の融資を受けることができるなど一定の信用も得ていたこと、同社の経営状態を全体的に見ても、その支払能力を示す流動比率は第二期以降第四期まで少しずつではあるが期毎に高くなり、僅かながらも資金的に余裕が出てきたことを示しており、又、在庫回転率も第三期は九・八パーセントを示していたが、第四期には一八・八パーセントを示していて良好であり、粗利益率は第二期以降第四期まで期毎に低くなつているが、売上総利益がかなり上がつているので、同社に収益能力がついてきていることが看取されるなど、この種企業としては普通域にあつたこと、そして、従業員の士気も高く、経理スタッフも揃つていたこと等の事実が認められ、これらの事実に鑑みると、当時、フルハム・ロードは、未だ自己資金が十分ではなく、そのため、被告人が同社の資金繰りに忙しかつたことは認められるにしても、同社の経営状態が順調に推移していたことなどからその資金繰りもさ程困難ではなかつたと認められ、従つて、被告人において、これが資金繰りの方途もなく困窮していたとは到底言い難く、これに加えて、前掲関係各証拠によつて認められる一美を被保険者とする被告人と第一生命保険相互会社及び千代田生命保険相互会社との間の判示各保険の契約時期や千代田生命保険相互会社と右保険契約を締結する際に付した災害割増特約も被告人が自ら進んでこれを付けたものではなかつたという保険加入の際の経緯、又、右各保険の保険料も被告人の当時の収入に照らすと必ずしも高額に過ぎるとは言えないこと等をも勘案すると、被告人がフルハム・ロードの資金繰りに困窮し、所謂保険金殺人を計画し、予め右各保険に加入した上、これが保険金を入手すべく、一美殺害を決意するに至つたものとは俄かに断じ難いと言うべきである。しかし、前掲関係各証拠によれば、被告人は、遅くとも昭和五六年七月一〇日頃には一美殺害を決意しており、そして、被告人が一美を被保険者としてアメリカンホーム保険会社の判示海外旅行傷害保険に加入したのは、既に矢沢から一美殺害の承諾も取り付けたあとであることが認められるから、右保険については、まさに一美を殺害してその保険金を不正に入手する目的もあつて、加入したものと言うことができ、又、被告人が矢沢に対し一美殺害への加担を持ち掛けた際、その報酬として三、〇〇〇万円の保険金のうち半分を同女にやる旨約束をしていることに徴すると、被告人が予て前記第一生命保険相互会社及び千代田生命保険相互会社との間で一美を被保険者として締結していた災害死亡時合計八、〇〇〇万円の保険金については、遅くとも、矢沢に一美殺害への加担を持ち掛けた際には、これが保険金を一美殺害後入手しようとの意図を有していたことは明らかであると言うべきである。以上の次第であるから、本件における被告人の保険金入手目的は、この限りにおいて、これを認めることができると言わなければならない。
第二そこで、次に被告人の供述の信用性について検討する。
一被告人の当公判廷における供述によれば、被告人の供述の内容は、大要次のとおりである。即ち、私は、それが何時であつたかは今記憶にないが、当時交際していたN子に紹介されて矢沢美智子と知り合い、その後矢沢と親密な交際をするようになつたが、同女と肉体関係を結ぶ時には二人でマリファナを吸引して互いにその昂揚感を高め合つていたところ、その後、コーヒーホール「セレクション」で矢沢と会つた際、同女が、マリファナを知人の伝手で買うと、煙草状にしたもの一本で五、〇〇〇円から八、〇〇〇円もすると言うので、私がアメリカでは一本二〇〇円か三〇〇円程度で手に入ると言つたところ、同女は、マリファナを安値で仕入れることができれば、友人に売つて儲けることができるので、渡米した際にマリファナを持つて来てくれないかと頼んで来た。私は、矢沢が渡米して自分で日本にマリファナを持つて帰るのであれば、アメリカでマリファナを買つてこれを同女に渡してやつてもよいと思い、その旨同女に言つたところ、同女はそうして欲しいと言つた。なお、私と矢沢とは互いに結婚のことなどを考えた間柄ではなく、時折会つては肉体関係を持つだけの単なる遊び相手に過ぎなかつた。私は、その後、赤坂東急ホテル等で矢沢と会い、渡米するための打ち合わせを行つたが、その頃、丁度、昭和五六年八月一二日から同月一九日までフルハム・ロードの夏期休暇を利用して一美とロスアンゼルスに旅行する予定が立つたので、その機会に矢沢も私達夫婦の旅行の日程に合うように、同月一二日からロスアンゼルスに滞在する予定の旅行会社のパッケージ・ツアーに参加して渡米し、翌一三日にロスアンゼルスでマリファナを矢沢に渡すことにした。マリファナを日本に持ち込む方法については、マリファナと一緒にアンティーク・ドレスも渡すから、そのポケットにマリファナを詰め、これをスーツケースに入れて持ち帰れば税関でも怪しまれないと教えた。矢沢の旅行費用五〇万円、マリファナ購入代金一、〇〇〇ドル(当時の為替相場で約二五万円・以下同じ)及び右アンティーク・ドレス代約二、三万円は一時私が立て替えておき、後日返済して貰う約束だつた。ここまでして矢沢に便宜を図つてやつたのは、同女のように可愛い女の子の願いを気前良くかなえてやることで自分自身気分が良かつたからである。なお、矢沢から同月一三日は一日どこかへ遊びに連れて行つてくれとも頼まれ、私はこれをしぶしぶ了承したが、その際、当日私は忙しいのだということを同女に分からせるために、社員のO男との打ち合わせもあるし、一美も中国服を注文して作るのでその仮縫いをするなど結構予定も入つている旨話しておいた。右のO男との打ち合わせというのは、以前から何回もドンドン社のO男に「船会社のJ男という者からフルハム・ロードの貨物を運ぶために同船会社の船を利用して欲しいと言われているので、J男と会うだけは会つて貰えないか。」と頼まれていたが、それまでの渡米の際には忙しくてJ男に会う時間が取れなかつたが、今回は日程に余裕があるので会つてみようと思い、ロスアンゼルスに到着する翌日の同月一三日の午後六時前後に会えるよう約束を取り付けておいてくれとO男に頼んでおいたものである。私は、同月一二日、ロスアンゼルスのザ・ニュー・オータニ・ホテル・アンド・ガーデンに宿泊手続をし、以前から私のロスアンゼルスにおけるマリファナの入手先であつたリチャードという男の許に電話を掛け、一、〇〇〇ドル分のマリファナを買い受けたい旨伝えたところ、それまでは同人にマリファナを頼めば必ず買うことができたのに、今回に限つて、ロスアンゼルス地域にはマリファナが全く入つて来ていないと言われ、マリファナ入手が不可能であることがわかつた。そこで、同日夜、同じホテルに滞在していた矢沢に電話を掛け、現在マリファナのストックがなく、買えなくなつてしまつた旨伝えたところ、同女は、他から入手する手だてはないのかと盛んに言い立てるし、又、一方で、明日どこかへ連れて行つてくれということも言うので、私は、一時しのぎに、とにかく明日電話する旨答えておいた。その電話の際に、私は、矢沢に尋ねられるまま私達夫婦のいる客室の番号を教えてしまつた。更に、一二日、中国服のサンプル品を一美のために無料で作つてくれる約束になつていた中国人の女性から電話があり、以前は無料で作るという話であつたが、やはり代金を払つて貰いたいなどと言つてきたので、一美に意向を確認したところ、一美は、代金が要るのであれば服は要らないと言うので、その旨右中国人女性に伝え、中国服を作る話はこれを断つた。翌一三日は、リチャード以外からマリファナを買える当てもなく、又、一美を残して矢沢と一緒に出掛けることもできないので、矢沢に約束の電話をしないまま、朝から一美と買い物に出掛け、午後六時前にホテルに戻つて来た。私は、ホテルに戻つてから、自分の部屋に上がり荷物を置いたのち、O男や船会社のJ男に会うため、直ぐにホテル一階のコーヒー・ショップに降りて行き、同人らと商談をしていた際、私に電話が掛かつている旨の呼び出しがあり、同店のレジスター横の受話器を取つたところ、一美から、直ぐ部屋に上がつて来るように言われたため、商談の場を中座して部屋に上がつてみると、部屋の奥のベッドの端に一美が腰掛け、矢沢が入つて右側の壁に寄り掛かつて立つていた。私は、思いもかけぬ事態に肝が潰れる程驚き、気が動転してしまい、一美にどうしたのかと言つて近寄ると、一美は、「キャンセルしたはずの中国人の仮縫いの女性が来たのかと思つてドアを開けたら、この人が入つてきて、突然、『私が結婚するんだから、三浦さんと別れなさい。』と言うのよ。一体何なの。」と強く言つてきたが、私は、とにかく知らないと言い張り続けた。一美は、更に、「それで、びつくりして、和さんに来て貰おうと思つて電話を掛けようと、奥に向かつた時に、後ろから思い切り突き飛ばされたの。」と言い、矢沢の足元を指して、「あのハンマーみたいなのでぶつたんじやないのかしら。」と言つた。矢沢の足元には、スーパーで買物をした時にくれるような茶色の紙袋があり、その中に濃茶色の、十字型で縦横の棒の部分に木を彫つたような溝乃至くびれのあるトーテムポールのような物が入つていた。私は、矢沢がそのようなことをするはずはないと思つたので、一美に、「そんなことする訳ないじやないか。」と言い、次いで、矢沢に対し、「お前なんかと結婚する訳ないだろう。馬鹿野郎。ふざけんのもいいかげんにしろ。頭おかしいんじやないのか。マリファナか覚せい剤か何かのやり過ぎじやないのか。」などと言つて面罵し、とにかく同女との浮気が一美に発覚しないようにするためには早く矢沢を部屋から出してしまわなくてはならないと思い、「お前なんか出て行け。」と言うと、同女は、「ごめんなさい。」とか、「すいません。」とか言つて頭を下げ、トーテムポール様の物が入つている足元の紙袋を持つて出て行つた。その後、私は、一美が後頭部に怪我をして、そこから血を出していることを知り、一美に対し、「O男の手前、女性が押し掛けて来て怪我をさせられたということではみつともないので、浴室で転んだことにしてくれ。」と頼んだところ、一美もこれを承知してくれた。又、その後、矢沢に電話で、なぜ一美といさかいのようなことになつたのかその理由を尋ねたところ、矢沢は、私が一三日の昼間、同女にマリファナが他のルートから入手できたかどうかの約束の電話をしなかつたことや、同女を遊びにも連れて行かないで一美と外出し、私と一美がたくさんの荷物を抱えてホテルに戻つて来て、ロビーで二人仲良くしているのを見たことで、かつとなつたからだと言つていた、というものである。
二しかし、被告人の右供述は、これを仔細に検討すれば、以下詳述するように不自然不合理な点が多く、容易くこれを信用することができない。即ち、
1 被告人は、矢沢が渡米したのは、矢沢の希望で自分がロスアンゼルスで矢沢に一、〇〇〇ドル(約二五万円)分のマリファナを入手してやり、矢沢がこれを密かに日本に持ち帰るためであつた旨供述しているが、被告人にとつて何の利益もなく、逆に発覚した場合には被告人も共犯者としてその刑事責任を追及され兼ねないようなことを、被告人自身単なる浮気相手としか見ていないという矢沢に、しかも、単に同女が可愛いのでその願いをかなえてやれば、自分自身気分が良くなるからという理由だけで、わざわざ渡航費用として五〇万円、マリファナ購入代金として一、〇〇〇ドル(約二五万円)、アンティーク・ドレス代として約二、三万円もの大金を立替え払いをしてまで、かなえてやるというのは如何にも不自然で俄かに余人をして納得させ得ないものと言うべく、このことは、かつて、矢沢からの五万円の借金申込みさえ拒絶したことがある(矢沢供述)という被告人の金銭に対する考え方に照らしても首肯し得るところであり、又、被告人は、自分が普段リチャードから一回に買つている量を遙かに上回る一、〇〇〇ドル相当分ものマリファナを矢沢のために入手してやろうというのであり、その上矢沢に渡米費用として五〇万円も出捐しているというのであるから、もしそうならば、矢沢に渡米目的をかなえてやり、そして、自らはこれが立替費用等の回収を確保するためにも、当日になつて突然マリファナが買えなくなるような事態に立ち至らぬよう(特に被告人の供述によれば、被告人は以前にも日にちのずれで申し込んだ日に買えなかつたこともあるというのであるから尚更のこと)、予め、リチャードに、当日それだけの量マリファナを用意できるのかどうかを確かめて然るべきであり、特に、被告人は、矢沢とマリファナの話が決まつた後の昭和五六年七月渡米しているのであり、しかも、その際、リチャードからマリファナを買つたというのであるから、その折にその話をして確かめるなどしておくのが至当であると考えられるのに、何らそのような措置を取らないまま漫然と矢沢を渡米させ、八月一二日に至つて初めてリチャードに電話をしたところ、そこでマリファナ購入が不可能であることが分かつたなどというのであつて、矢沢の渡米目的が被告人が弁解するようにマリファナ入手のためだけであつたとするならば、かかる行動は極めて不自然不合理であると言わなければならない。
2 又、本件関係各証拠によれば、被告人は、矢沢の渡米を自分達夫婦の夏期休暇旅行に合わせたばかりでなく、旅行先でも、何とかして矢沢と同じホテルに宿泊しようとしていたことが認められるところ、被告人は、その理由として、それは、矢沢からマリファナの話を持ち掛けられた時、たまたま、時期的に一番近いところに自分達夫婦のロスアンゼルスへの夏期休暇旅行が設定されていたからに過ぎない旨供述するが、しかし、その一方では、矢沢との浮気が一美にばれないようにしていた旨、又、矢沢から八月一三日には一日どこかへ遊びに連れて行つて欲しいと頼まれた時も、余り気乗りがしなかつたが、結局しぶしぶながらこれを承知しなければならないはめに追い込まれた旨、そして又、一三日夕刻、一美に呼ばれて商談の場から部屋に戻つた時、矢沢が自分達夫婦の部屋に来ていたことから、一美に自分と矢沢の浮気が発覚したのではないかと恐慄した旨供述しているのであつて、被告人がもし自分と矢沢の関係が一美に発覚することをそれ程までに恐れていたというのなら、特に矢沢にマリファナを緊急に入手してやらなければならない必要もない以上、何もわざわざ浮気発覚の危険を冒してまで矢沢の渡米日を自分達夫婦の折角の休暇旅行に合わせるなどする必要はなく、むしろこれを避けるのが自然であり、特に、被告人は、当時頻繁に渡米していた(法務省入国管理局登録課作成の昭和五九年二月八日付日本人出帰国記録調査書によれば、被告人は、昭和五六年中は合計八回ロスアンゼルスに行つており、本件の約一か月後の同年九月一三日にも渡米していることが認められる。)のであるから、次回以降の渡米の際に合わせて矢沢を渡米させるようにしさえすれば、全く一美の目を気にすることもなく矢沢と行動を共にすることもできたはずである。結局、被告人は、矢沢にマリファナを入手してやつて渡すというだけのことで、なぜ矢沢を自分達夫婦の旅行に合わせて渡米させなければならなかつたのか、更に、なぜ矢沢が滞在するホテルに、自分達夫婦も滞在する必要があつたのかの理由については何ら納得し得る説明をなし得ておらず、この点について述べる被告人の弁解も又不自然不合理であると言うべきである。
3 更に、被告人は、それまでの渡米と違つて八月の旅行は日程に余裕があつたので、船会社のJ男との商談を八月一三日の午後六時前後に設定してくれるようO男に頼んだもので、一三日の午後六時前後と決めたことに特段の理由はないと供述するが、被告人が八月の旅行は一二日から一九日までロスアンゼルスに滞在する予定であり、余裕があつたというのなら、何もよりによつて、被告人の言うところの諸事、即ち、リチャードからのマリファナの仕入れ、これを隠匿するためのアンティーク・ドレスの別途購入、そして、右マリファナとアンティーク・ドレスの矢沢への手交、更には一美との買物、或いは矢沢との一日の遊興等に慌ただしい一三日にJ男との商談を設定する必要はなかつたと言うべきであつて、被告人がそれにも拘わらず、O男に対して、敢えて一三日の午後六時前後と日時を指定してまで右商談の設定を依頼したというのは、その日時に商談を設定しなければならない何らかの理由があつたからであると見るのが自然であり、この点について、特段の理由はなかつたという被告人の弁解は措信し難いと言わざるを得ない。
4 更に、又、矢沢が一美の部屋に押し掛けて乱暴を働いた理由について述べる被告人の供述について検討しても、それは不自然不合理で到底信用することができないというべきである。即ち、被告人は、矢沢がかつとなつて乱暴を働いたという理由の一つに、被告人が八月一三日の昼間矢沢に約束の電話をしなかつたことを挙げているが、被告人の供述によれば、右電話は、矢沢にとつては、被告人がリチャード以外の伝手からマリファナを入手できたかどうかの返事を自分に知らせてくる大事なものであつたことになるのであるから、もしそうであれば、矢沢は、ホテルに帰つて来た被告人からの連絡を今暫く待つなどして、マリファナ入手の成否を確かめるのが、わざわざ被告人から費用を立替えて貰つてまでしてマリファナ入手のため渡米したという矢沢の目的(被告人の弁解)に適う所作であると言うべきであるのに、全くこれをなさないまま、ただ、被告人が約束の時間までに電話をしなかつたとか、被告人が一美と外出して荷物をたくさん抱えて帰り、ホテルのロビーで一美と仲良くしているのを目撃したというだけの理由で(もし、被告人において、他の伝手からマリファナを入手し得ていたとすれば、これを隠匿するアンティーク・ドレスが右荷物に含まれているかも知れないのに)、かつとなつたというのは如何にも不自然不合理であると言う外はなく、又、被告人は、矢沢とは、互いに結婚のことなどを考えた間柄ではなく、時折会つては肉体関係を持つだけの単なる遊び相手に過ぎなかつたというのであるから、もし、矢沢との関係がその程度に過ぎなかつたのなら、矢沢が、右のような理由から嫉妬するなどして、かつとなつたというのも不自然であり、言わんや、かかる理由で、わざわざ一美の部屋に押し掛け、一美に対し、突然、自分が被告人と結婚するのだから別れろと迫つた上、矢庭に背後から思い切り突き飛ばし、或いは所携のトーテムポールのような物で殴り掛かるなどの乱暴に及んだというに至つてはこれが不自然不合理であることは多言を要しないところであり、被告人の弁解は、到底信用し難いと言うべきである。そして又、被告人は、一美の面前で、矢沢を「お前なんかと結婚する訳ないだろう。馬鹿野郎。ふざけんのもいいかげんにしろ。頭おかしいんじやないのか。」などと強い調子で面罵したというのであるから、もし、仮に矢沢が右のような理由からかつとなつて、前後の見境もなく一美の部屋に押し掛けて来たとするならば、矢沢としては、益々憤懣を募らせ、被告人に食つて掛かるなどするのが自然であると思われるのに、一向に憤ることもなく、ただ「ごめんなさい。」とか、「すいません。」とか言つて頭を下げ、おとなしく部屋から出て行つたというのであるから、被告人の弁解はこの点に照らしても不自然で到底信用することができない。
5 又、被告人は、矢沢が一美の部屋で持っていたという凶器について、それは十字型のトーテムポールのような物で、スーパーで買物をした時にくれるような紙袋に入つていて、矢沢の足元に置かれていた旨供述しているが、右供述は、一美から事件後直接聞いたという前記K子及びM子の各供述(前者は供述調書)によつて認められる一美自身の凶器に関する供述、即ち、「その女性はハンマーをバッグの中から取り出して殴つた。その女性と取つ組み合いをしてハンマーを取り上げた。」、「それは握る柄の上に横に棒が付いていた。その女性と取つ組み合いをしてこれを取り上げた。」との供述と、凶器の形状だけでなく、これが入れ物の品目、凶器の後始末等種々の点で食い違いを見せており、被害者である一美の右供述が矢沢供述ともほぼ一致しているばかりでなく、前後一貫していること等に鑑みると、被告人の凶器に関する右のような供述も俄かにこれを措信することができないと言うべきである。
三以上検討したように、被告人の当公判廷における弁解供述は、不自然不合理な点を多々包含するばかりでなく、被告人がこれまで捜査官の面前等で本件について説明してきた内容とも全く異なるものであり、更には、被告人は、裁判官の面前では真実を話すと公言しながら、本件第一五回乃至第二〇回公判期日において、本件第一回公判期日における被告事件に対する認否の際にした陳述、即ち、「私が一美から聞いた限りにおいては、矢沢が一美を襲つて傷を負わせたなどということは全くなかつたことであり、私は矢沢がそのようなことをする女性ではないと今も信じている。」との陳述とも、これ又、全く異なる供述を臆面もなくしているのであつて、このような被告人の供述姿勢・態度・そして、このように供述内容が齟齬変遷している理由について被告人が縷々弁疏するところも全く首肯し難いものであること等に徴すると、被告人の当公判廷における弁解供述は到底これを信用することができず、従つて、被告人の右供述によつて、前記矢沢供述の信用性はいささかも揺らぐことがないと言うべきである。
第三以上の次第であるから、被告人が矢沢と判示共謀を遂げた上、妻一美を殺害しようとしたことは、明らかであつて、合理的な疑いを容れないと言うべきである。
(累犯前科)
被告人は、昭和四三年七月三一日横浜地方裁判所で窃盗、公文書偽造、現住建造物等放火、道路交通法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反、強盗致傷、公務執行妨害及び脅迫の各罪により懲役一〇年に処せられ、昭和五一年八月二九日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右事実は右裁判の調書判決謄本及び検察事務官作成の前科調書によつてこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法六〇条、二〇三条、一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人には前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、判示のとおり、妻一美を殺害せんと企図した被告人が、予てから愛人関係にあつた矢沢美智子に保険金の分け前などを餌にその情を明かしてこれが加担を求め、同女がこれに応じるや、同女との間で、約一か月に亙り謀議を重ねて自己の立案に係る殺人計画を練り上げ、我が国の捜査機関が直接捜査に当たることのできない外国を犯行場所に選び、一美と直接つながりのない矢沢に殺人の実行を担当させ、自らは予めその時刻に商談を設定してアリバイを作り、又、犯行に使用する凶器も我が国では見掛けない金属製ハンマー様器具を現地で調達し、一美殺害後は敢えてこれを現場に遺留し室内を荒らすなどして、日本人でない者による流しの強盗殺人に見せ掛けるための偽装工作をもくろむなど完全犯罪を企図し、更に、別途、一美を被保険者とする高額の海外旅行傷害保険に加入した上、夏期休暇旅行に仮装して同女をロスアンゼルスに誘い出し、先に出発して現地で待機していた矢沢において、宿泊先のホテル客室で、一美の後頭部を、被告人から現地で受け取つた金属製ハンマー様器具で殴打し、これを殺害しようとしたが、結局、同女に全治まで約一週間を要する判示傷害を負わせたに止どまり、その目的を遂げなかつたというものであつて、本件は、完全犯罪を狙つて綿密かつ周到に計画された犯行であり、その態様も約一・五キログラムという相当重量のある金属製ハンマー様器具で一美の頭部を力一杯殴打したというものであつて、たまたま矢沢が不安定な体勢のまま殴打したため手元が狂つて一美に判示傷害を与えたに止どまつたが、矢沢と一美との位置関係や矢沢の殴打時の体勢如何によつては、一撃で一美の生命を奪うに十分なものであつて、極めて危険性が高く、凶悪なものであると言うべきところ、その動機目的も、本件においては、被告人が会社の資金繰りに困窮して所謂保険金殺人を計画し、予め一美を被保険者として保険に加入した上、これが保険金を入手すべく、一美殺害を決意したものとは俄かに認め難いが、遅くとも、被告人が、矢沢に本件犯行への加担を持ち掛けた段階では、一美を被保険者とする保険の保険金を不正に入手しようとの意図を持つていたことは明らかであるから、本件が金銭欲の絡んだ悪辣非道なものであつたことは多言を要しないところである。被告人は、自分の愛する娘にとつては掛け替えのない母親である一美を、娘の心情に思いを致すこともなく、愛人と相謀り、平然これを殺害しようとしたものであつて、その所業は誠に冷酷非情という外はなく、又、被告人は、殺人の実行行為にこそ直接出てはいないものの、前叙のとおり、本件殺害計画を案出し、謀議を主導し、殺害の日時場所やその具体的手順・方法を決め、凶器を準備し、偽装工作を指示するなどしたものであつて、まさに本件の主犯であり、相応の責任を甘受しなければならないと言うべきところ、捜査公判を通じて本件を否認し、矢沢が敢えて虚偽の供述をして被告人を共犯者に仕立て上げ、罪に陥れようとしたものであるなどと主張し、その時々に応じてその内容を変遷させながら、縷々、それ自体極めて不自然不合理で到底信用することのできない弁解を構築しては自己の刑事責任を免れようとするなど、被告人には本件につき反省悔悟の情が凡そ窺えないこと、一美は昭和五七年一一月三〇日死亡しているところ、その両親等において、本件につき被告人の厳重処分を望んでいること、本件はテレビ、新聞等を通じて広く報道され、社会に与えた衝撃も多大で、これが社会的影響も軽視し難いこと、加えて、被告人には、前記のとおり、現住建造物等放火、強盗致傷等の罪により懲役一〇年に処せられ服役した前科があること、しかるに、未だその犯罪性向が一向に改善されていないこと等を併せ考えると犯情は誠によくなく、被告人の刑事責任は重いと言わなければならない。しかしながら、本件は幸い未遂に終わり、一美に全治まで約一週間という傷害を負わせたに過ぎないなどの事情もあるので、これらの情状及び共犯者矢沢(懲役二年六月)との刑の権衡等を総合考慮した上、主文掲記の刑を量定した次第である。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官生島三則 裁判官北 秀昭 裁判官尾島明は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官生島三則)